民忠と信長の野望

新型コロナウイルス感染の給付金として、国民一律10万円の給付が決定したわけであるが、どうも、光栄の歴史シュミレーションゲーム「信長の野望機廚量叡蕕鮠紊欧襯灰泪鵐匹範骨なCG(殿様が農民に小判をばら撒くCG)が頭に浮かぶ・・・。

 

どうして、ゲーム内で民忠を上げなくてはいけないかというと、兵を増やすための募兵コマンドや、毎年の年貢米を増やすために年貢率(税率)を上げたり、災害(飢饉や疫病や台風)により、領内の民の不満が高まってくると、民忠が下がりやがて一揆が発生し下手するとゲームオーバーになるのである・・・・。

 

だから、ゲームオーバーを防ぐために、金をばら撒き民忠を上げる必要性が発生するのである。

 

さて、ゲームオーバーは何故発生するか。

普通のゲームの感覚だと、主人公や操作対象者が死亡したときにゲームが終わる(人生と同じような・・・)。

 

でも、光栄の歴史シュミレーションゲーム(特に初期の)ものは、シブサワ・コウ先生が素晴らしい才能を発揮していた時だからか、奥が深いのである。

信長の野望気任蓮⇒廚垢襪妨⇔蝋渋い崩壊したときにゲームオーバーとなる。殿が死んだ時ではない。

だから、権力構造を維持しかつ日本全国にその権力が到達したときにハッピーエンドとなるのである。

 

さて、翻って考えてみると、生活困窮家庭の生計を維持するための給付金という目的であれば、当初の30万円を一部の民に給付の実施は目論見に合致している(あくまでも目論見)。

しかし、国民全員に10万となると、上記目的は合致しない。なぜなら、1か月10万円で生計を立てている一家と1か月50万円で生計を立てている一家にとって、数学的な絶対金額は10万円でも、当事者にとっての重みが全く異なるからである。

 

無論、10万円を全てパチンコに費やす者もいれば、本当に食費と家賃で無くなる者もいる。

 

そう考えると、この10万円というのは、どっちかといえば信長の野望に近い(これ以上言わなくてもわかるよな)。

 

日本は民主主義国家である。数は力である。政治という視点から言えば、10万の選択は正解であるとしか思えない。

その費用はもちろん赤字国債から賄われる。赤字国債は大企業と銀行とお金持ちが買う(もしくは買わされている)ものである。

 

外国人は日本の国債はほとんど買わないらしいから、結果として膨らんだ国の借金は上記方々の負担になるのである。

権力構造を維持するためにその社会構造上利益を得ている物が維持コストを支払う。

やっぱり間違ってないのである(政治的に)。

 

でも当初の目論見であった、生活困窮者の支援という錦の御旗とは、ちとちがう気がしてしょうがないのである。

 

「政治というのは信長の野望気任△襦!」

 

 

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