勤め人とフリーランスの借金

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「借金」

金を他人から借りることであるが、そのネガティブな意味を薄めるために商人は慣習的に横文字を利用する都合上、これを「ローン」とか「リボ」とか「キャッシング」と呼ばれる。

 

社会人になるり勤め人になると、一般的にこの「借金」が容易になる。金融機関は「信用」という都合の良い呼称を利用し消費者を奉っている外観を呈する。貸金も所詮商人であるがゆえに、お客様を奉るのは商売の一環なのである。

 

考えてみると「信用」というのは物的担保以外に、借入金を返せるあてのことであり、当事者になにか不穏なことがあった場合でも確実に回収できる可能性が高いと判断された顧客程この「信用」という呼称の、回収可能性が高いと金融機関に判断され、より沢山、長期の借入れが可能となる。

 

しかし、誤解してはいけないのだが、この「信用」が高いということが、当事者の社会的ステータスであるとか世間的な地位の向上であるとかいう考えは捨て去ったほうがいい。そういうイメージを抱かせるような広告や言い回しを金融機関はしてはいるが、それは単に、利益を享受する側の商売上の都合であり利益を失う側の消費者のメリットはない。

 

歴史的に見て、借金は貧民を債務奴隷化して隷属させる手段となる場合が多い。その結果、田畑を失い、娘を売り、全ての財産を失った挙句小作化するのである。小作化した貧民はさらに地主に地代を搾り取られ際限なく貧困化(というより奴隷化)が進行する。

ヨーロッパで言う、農奴はこれよりさらに、教会に10分の1税を徴収される。荘園の場合には荘園領主と、当時ヤクザみたいな武士との両方に年貢をむしり取られる(日本の場合には宗教組織からの強制的徴収は歴史の教科書にはないようだ)。

 

そういうわけで、借金というのは、結果的に物理的移動の自由を制限される拘束性を伴う(貸金業者の債権回収のため)場合があり、それをもって、ヨーロッパの農奴制に似た様相を呈すことがある。ちなみに、農奴の場合には教会からの徴収も伴ったからもっと悲惨であるが。日曜日は教会へというのは、信販会社への週一の借金返済の目途の連絡と同様であると感じるのは自分だけかも・・・。

 

前置きが長くなったが、

「信用」なんでゼロのほうがいいってことである。

借金がそもそもできなければ、債務奴隷化する可能性がない。努力せず、手近に金が手に入るとなれば、だれしもその欲望に抗うのは相当な意思の強さが必要である。それはお腹が空いたときに、面前の茶碗の飯に手を付けるなと言っているのと同じである。

だから、そもそも借金ができないほうがいい。そういうわけで「信用」がついてしまう勤め人はやらないほうがぞもそも良いと感じるのである。

 

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