自然公園法と「きょうか」合宿

 

自然公園法 第一条

 

この法律は、優れた自然の風景地を保護するとともに、その利用の増進を図ることにより、国民の保健、休養及び「教化」に資するとともに、生物の多様性の確保に寄与することを目的とする。

 

要するに

 

若い時は「強化合宿」

おっさんになったら「教化合宿」 する場所

 

それが、自然公園の目的である。

 

20年ほど前に流行った会社の管理者(部長とか課長)用の合宿があった。いまでも企業研修のセミナーとかありますね。

 

名称 「富士山麓地獄の特訓管理者養成講座」

 

はい、法律に詳しい人なら知っていますが、自然公園法にて規定される公園とは、国立公園や国定公園のことです。その違いは所轄官庁の違いであります。また、市区町村や都道府県の管理する公園は基本的に自然公園法の目的とする公園ではありません。

 

富士山は国立公園・国定公園の類のため、教化(洗脳)を目的とする各種イベントが法律にて担保されているわけです。

 

法律は知らなかったことが許されないという性質の決まり事( 法の理念→ 法はその不知を許さず )です すなわち 「よらしむべししらしむべからず」(徳川家康)の伝統的基本理念が底流にあります。これは、岩波文庫創始者の「読書子に寄す」の名文からも暗喩的に見て取れます。(興味がある方は、緑の表紙の岩波新書巻末をご覧ください)

 

以上、ためになる作文でした。

 

士農工商

JUGEMテーマ:歴史

 

今日の、

一般財団法人 不動産適正取引推進機構のメルマガによると、

宅建業者は「商人」とある。

(商法502条11号)

 

近年、宅地建物取引主任は宅地建物取引士と名称を変化させ、暴力団関係の法令の追記とともに、「士業」となった。

(実は、宅建士だけが国家交付ではなく、都道府県交付の士業のため、毎年の国家納付金がいらないお金のかからない身分である)

 

業者は、宅建士でなくともなれるから商人である。

宅建士は士業である。

 

というと、オーナーが宅建士で宅建業者であると、士商人である。要するに、転じて師匠となる。歩がト金になるのある。

 

組織人とは

古き良きアメリカ。

アメリカにも組織人が尊ばれる時代があった。

 

信仰深いやさしき母、組織人としての良き父、日曜日は教会へ。年功序列、終身雇用の安心社会。

オールドファッションはミスタードーナツ。

(フリーランス社会の到来 ダニエル・ピンクより)

 

現在の日本は、この亡霊を引きずっているわけだが、

それでは、組織人というのは一言で言って何なのだろうか?

 

自分が組織人を経験した体験から、一つの結論を導き出した。

 

「組織人とは量産型ザクである」

 

「ザクとは違うんだよ、ザクとは!」(ランバラル大佐)

なんてことは、決して言ってはならない。

 

量産型ザクではなくとも、量産型ザクの振りをしなくてはならない。

 

たとえビグザムであっても、ハイメガ粒子法は絶対に使ってはならない。

あくまでも(もちろん、ゲルググであってもジオングであっても同様である)、

ザクマシンガンとザク斧で戦うのである。

 

それは、大変困難な職業なのである。

 

それが「組織人」である。

 

正史

JUGEMテーマ:歴史

 

史記(ちくま新書)によれば、正史とは、誤りのない史実ではない。

すなわち、歴史の教科書に書いてある事柄は、「誤りが無い事実が記載されている」というわけではない。

 

では、正史とはなんなのか。

 

それは、新たに権力の座に君臨した組織が、自らを正当化させるための文章である。

だから、歴史の教科書は、必ずしも事実を記載しているわけではないのである。

 

ところで、司馬遷が記載した正史である史記は、前漢(高祖劉邦ーまんが天地を食らう)が設立した国家を正当化させるための文章に過ぎない、なぜなら司馬遷は漢の役人だからである。だから、国家存立にとって揚げ足を取られるような事柄は一切書いてない。

 

そういうわけで、司馬遼太郎氏は司馬遷の「司馬」姓を名乗っているように、正史を記述しようと試みた「(歴史)作家」である。

近代日本は第二次世界大戦後、アメリカによってその歩みを始めた。

すなわち、正史とはアメリカ(連合国)にとって都合の良い文章を記述したにすぎない。

 

であるからして、結論としては、前回の続きとなるが、南京大虐殺は正史を記述する都合上、前国家を貶めるのに、都合が良いから記述されたという可能性が高いのである。だから辻正信や石原莞爾が悪人である記載も甚だ疑問。

 

史記では、夏の桀や殷の紂王とかが有名。

 

南京大虐殺とその真相

JUGEMテーマ:歴史

 

 

以前、APAの社長の本で話題になった「南京大虐殺」

APAの社長の話によれば、なかったとの意見。とある大臣経験者も、なかったとの意見。

 

歴史書を読むと、これまた、あったり、なかったりだが、なかったという意見のがどちらかと言えば少ない。

 

中学校の歴史の教科書には確か、あったという記述の記憶がある。

 

さて、真相はどうなのか。

 

満州の関東軍の著名な参謀である、辻参謀は、司馬遼太郎氏によればコテコテの悪人のようなことを書かれているが、そういうフィルター無しで、彼の手記を読むと、「南京で虐殺があったらしい」とある。だが、彼は帝国陸軍が南京上陸時には南京にはいなかったので、実際にその目で見たわけではなく、当時誰かからまた聞きして、「あったらしい」と記述している。

 

だから、なにもなかったと断言するのはちと苦しい。

 

でも、帝国陸軍南京上陸時には、あまり知られていないが、中国軍の特戦隊により、中国人同士の同士討ちが多く発生した。

要するに、上陸する帝国陸軍を見て、怖気づいた守備隊が敵前逃亡しようとしたため、後背の特戦隊(中国軍監視部隊)が大規模に逃げてくる味方の兵を撃ち殺したのである(当時はロシアでもこの手法は取られていた)。

それを見た、守備隊が怒り心頭に達し、これまた大規模に特戦隊を攻撃し、大規模な味方同士の殺し合いに発展し、海側と陸側から挟み撃ちにされた守備隊はあっけなく大損害を被り、比較的容易に上陸作戦が成功したのである。

 

その後に、帝国陸軍の多少の虐殺行為があったとしても、中国としては、まさか自国の部隊が大規模に自国民守備隊を殺害(というか後背から虐殺)した歴史を残すのは、非常にまずい。国家の士気に関わる問題である。

だから、帝国陸軍が殺戮したことにして、かなりその数を盛っているのは、明らかである。

 

正確に言えば、以下の通りなのであろう。

「南京大虐殺は無かった」が「南京で虐殺はあった」。

 

ちなみに、中国では体臭が非常に臭い人間は兵役免除である。

 

ミノフスキー粒子の開発

現在、必要とされているイノベーションの一つに、

「ミノフスキー粒子」がある。

 

<ミノフスキー粒子とは>

 電磁気学的通信を全く不可能にしてしまう、人工的広域拡散粒子(粒子というからにはなんらかの物質であると想定される)。

 主として、宇宙空間にて利用され、Gガンダム において、ジオン公国が利用し大戦果を挙げた。

 

無線通信技術とAIの発達は、商業的利用により、個人的なプライバシーを著しく阻害し、個人的な意思による選択の可能性をむしばみ始めている(AIによる選択的広告や商品の掲示等)。また、組織犯罪にも利用される可能性が高く、利便性の副作用が顕著に取りざたされている。

(いってみれば、ナポレオンとヒトラーのロシア東部戦線における冬季作戦の裏面である。すなわち、道路が整備されていないがゆえにロシアはナポレオンの攻勢もヒトラーの電撃戦も撃退しえたのである。)

 

いわば、冬将軍に匹敵する技術としての「ミノフスキー粒子」は特定の広域における、隠密作戦(そんなことする必要性があるかは別にして)を可能にし、無線通信を全く不可能にすることにより、軍事的効果は元より、いまこそ個人的休日のICT技術による束縛を開放させうるイノベーションとしての価値があるといえるのである。

 

 

 

ファイナルギア組み

JUGEMテーマ:車/バイク

 

さて、いまさら気づいたのであるが、

クランクケースを交換すると、ファイナルギアも新しいクランクケースに移行しなければいけない。

従って、ファイナルギアベアリングも全て取り外して移動となる。

 

 

以前、ファイナルギアのベアリングの全交換は2000km前であった。

ところが、たった2000kmしか走行していないのに、ベアリングに多数「ガリ」が発生している・・・。

まるで20000km走行後の状態に近いのである・・・。

 

ドライブシャフトの後部ベアリングを回してみたところ、特定の回転角で引っ掛かりがある。

心当たりは、専用工具が無かったので、ガンガンハンマーでぶったたいて、ドライブシャフトを入れたことである・・・。

 

「やっぱり、荒業の影響が・・・」

 

どうも、クリアランスの無いHONDAの特性か緻密な作業が必要なようである。

 

 

今回は、専用工具があるため、ドライブシャフトを慎重にインストールしました。

 

(原因の考察)

ドライブシャフトをハンマーでぶったたいてインストールしたため、若干歪んでギアがインストールされた。

そのため、全体のギアが歪んだ動作をして、ギアボックス内の約半数のベアリングの劣化が早まった(特にドライブシャフトの後ろ)。

 

「ファイナルギアのメンテナンスにプーラーは必要です!」

 

人柱と農村の労働力

昭和60年代の公立小学校では、給食の時間に日本昔話が放送室から放送されていました。

 

昼食を食しながら聞く、その内容は、「人柱」物語が多かったのを覚えています。

 

「人柱」とは、天災や飢饉の際に(それは大地や神の怒りだと考えれていたーすなわち原始宗教;アニミズムですー宗教学より)、神の怒りを鎮めるための、「若くていいい女」のことです。

 日本民族は、やはり昔からロリコンだったらしく、神は12−16才くらいの処女の少女がお好みの人柱として、好まれていたように、放送局から放送されるさまざまな昔話の数から想起できました。

 神に人柱をささげる方法としては、笹川会長の海底村方式に近く、生きたまま沈める・・・とか、生き埋めにする・・・とか、全く2000年代に放送したら、放送禁止になるようなことばかりしていたようです。

 そんな放送を聞きながら、毎日給食を食べていると、あまり気にならなくなるのも不思議なものです。

 

 それはそうと、昔は当たり前のように思っていた(子供のころから聞いていたので)そのような、事柄も、今考えると、相当残忍なように思われます。

 さて、何故そのような「残忍」な方法にて、少女を殺さなくてはならなかったのでしょうか・・・。

 

 昔話の時代は、たいていが、戦国時代〜江戸時代(西暦1500−1700年くらい?)が多いですが、そのころの、食糧生産量と婦女子の価値や数を考えると、それが解けます。

 要するに、農村においての婦女子の価値は、食糧生産高にあまり結び付かないため、「無駄飯食い」と判断されたのです。

 さらには、いい女であればあるほど、それを嫁にしようとする男の争いは「激化」します。

 すなわち、いい女がいると、無駄飯食いだし、村の男どもが争って、農事をほっぽらかすため、農村の生産高が下がり、お代官様に庄屋さんがこっぴどく怒られるという事情があったと想定できます。

 

時代が変われば、価値観も変わる、時には180度も変わることがある。

そう考えると、李氏朝鮮の農村における、慰安婦問題もどうしてあれが、どっちかというとその家族が喜んで送り出したような・・・、蛮行ではないのかが自然とわかると・・・。恨むなら家族を恨むのが筋なような・・・。

 

みたいな感じです。

 

サイバーセキュリティー月間!?

 

今月は(内閣セキュリティーセンター)NISCのサイバーセキュリティー月間です!

 

とそんなことは、ほとんどの国民は知らないよな・・・。

 

そういう組織が日本にあって、それは、内閣府という総理大臣直轄の組織内にあって、そこが、しばしば、マイナーなイベントを実施しているらしいのです。

今月は、週刊ジャンプの漫画とタイアップして情報セキュリティーの啓もう活動をしています。

 

宝くじ協会発刊の家庭問題情報誌ファミリアみたいなニュアンスが・・・(置いてねーんだよななかなか)。

 

 

特戦隊

JUGEMテーマ:歴史

 

「特戦隊」

 前線の逃亡兵を防ぐために、古くより利用された方法。

 

 要するに、兵を後方から監視して逃亡するものを、銃殺するという役目の部隊。

 

 第二次世界大戦のロシアや、日本軍の南京上陸時の中国兵が著名であるが、

 

 日本でも「新選組」の規則はそれに近いものがある。

 

 規則 ー 「士道に反する行為は斬首(切腹?)」 (司馬遼太郎全集より)

  

 言わんとすることは「敵を前にして逃亡したら、殺す」 ということである。

 

 しかし、考えてくれ・・・、新選組は「武士」ではない。そもそもは、武州(埼玉あたり)の自作農の親の資産を継ぐことができなくって、じゃまっけな次男坊以下の集まりの荒くれもの集団である。会津藩主にいいように利用されて、持ち上げられた挙句使い捨てにされた、そんな正月のドラマでやるような美しい集団でもなんでもない。

 

 どうして、近藤勇が、官軍により「斬首」なのかは、「農民」だからである。

「武士」なら「切腹」(か島流し(例、西郷隆盛)) 、「農民」なら(有無を言わさず)「斬首」なのは、 土佐の 武市半平太 と 岡田以蔵 の 結末を見ればその当時の文化的な慣習がよくわかる。

 

 そう考えると、新選組の一番の出世頭は、それほど有名でない、部隊長の「斎藤一」である。芹沢も幕末を生き残ったが官途にはついていない、たかだか老後に新聞社が歴史的な事実を聞きに来た程度である。

 

一方、斎藤一は逆賊にも関わらず、麻布警察署の「官」まで出世したのである。